量子コンピューティング産業は、市場原理だけでなく国家戦略によって形づくられている産業です。本ページでは、米欧中の政策と投資、日本の「量子未来社会ビジョン」と拠点整備、公的投資の国際比較、そして民間投資・スタートアップ資金調達の動向を報告します。

世界の量子国家戦略——「第2次量子革命」をめぐる競争

レーザーや半導体を生んだ20世紀の「第1次量子革命」に対し、重ね合わせやもつれを直接制御する現在の技術潮流は「第2次量子革命」と呼ばれます。量子コンピュータ、量子暗号通信、量子センシングの3領域は、産業競争力と安全保障の双方に直結するため、主要国はいずれも国家戦略として位置づけています。

2025年が国連の定める「国際量子科学技術年」であったことも象徴的です。量子力学誕生100年の節目に合わせ、各国は研究成果の発信と投資拡大を競いました。世界全体の量子技術への公的投資の累計は400億ドル超と推計されており(各国公表値の集計。推計には幅があります)、もはや一研究分野への支援ではなく、半導体に並ぶ戦略技術投資の様相を呈しています。輸出管理や人材交流の制限といった経済安全保障の論点も、量子ビジネスの実務に影響を与え始めています。

国家戦略の中身も、研究開発支援から産業政策へと重心を移しています。具体的には、スタートアップへの政府調達枠の設定、標準化活動への支援、輸出管理と技術流出防止、そして人材育成への長期投資です。量子ビジネスに関わる企業にとって、各国の政策文書は支援策の情報源であると同時に、次の市場がどこに生まれるかを示す先行指標でもあります。

安全保障との関係も深まっています。量子コンピュータによる暗号解読リスクは防衛・外交機密に直結し、量子センシングは潜水艦探知や測位補完といった軍事応用の可能性を持ちます。このため主要国は量子技術を輸出管理の対象に加えつつあり、国際共同研究や部素材輸出に関わる企業には、各国規制の把握とコンプライアンス体制の整備が求められるようになっています。

標準化と国際連携の舞台も政策の一部です。日米は量子分野の協力覚書を交わし、日欧・日英でも研究協力が進んでいます。同盟国間で技術と市場を共有しつつ、機微技術は守るという「フレンドショアリング」の構図は半導体と同様であり、量子ビジネスのサプライチェーン設計にも同じ発想が持ち込まれつつあります。

米国・欧州・中国の政策と投資

米国——国家量子イニシアチブと民間活力

米国は2018年の国家量子イニシアチブ法(NQI法)を起点に、NSF・DOE・NISTを通じた研究センター整備を進めてきました。特徴は、政府投資に加えてIBM・Google・Microsoft・Amazonといった民間の巨額投資が並走する点です。DARPAが有望企業の実機を検証する「量子ベンチマーキング・イニシアチブ」を進めるなど、軍・政府調達も産業を後押ししています。ポスト量子暗号への政府システム移行(目標2035年)も産業需要を生む政策として機能しています。

欧州——Quantum Flagshipと域内連携

EUは10億ユーロ規模の旗艦プログラム「Quantum Flagship」を軸に、量子通信網EuroQCI、量子コンピュータをスパコン網に統合するEuroHPCの取り組みを重ねています。2025年には域内の技術主権を意識した「量子欧州戦略(Quantum Europe Strategy)」を打ち出し、研究から産業化への橋渡しを強化しました。独仏蘭は個別でも大型の国家予算を確保しており、フィンランドのIQMなど欧州発ハードウェア企業も成長しています。

中国——国家主導の集中投資

中国は合肥の量子情報科学国家実験室を中核に、世界最大規模とされる公的投資(150億ドル超との推計もあります)を続けています。量子暗号通信では衛星・地上網の整備規模で世界を先行し、超伝導・光方式の量子コンピュータ「祖沖之」「九章」シリーズで米国勢に対抗する成果を発表しています。米中の技術移転規制が強まる中、量子サプライチェーンのデカップリングも進行しつつあります。

英国も国家量子戦略として10年間で25億ポンドの投資を掲げ、国家量子コンピューティングセンター(NQCC)を核に産業化を推進しています。韓国、カナダ、オーストラリア、インド、シンガポールなども相次いで国家量子ミッションを立ち上げており、量子技術への公的投資は主要国の「標準装備」となりました。

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日本の量子戦略——量子未来社会ビジョンと拠点整備

日本は2020年の「量子技術イノベーション戦略」、2022年の「量子未来社会ビジョン」、2023年の「量子未来産業創出戦略」と政策を重ね、「2030年に量子技術の利用者1,000万人」「量子技術による生産額50兆円規模」といった目標を掲げてきました。全国に10か所以上の量子技術イノベーション拠点(理研=量子コンピュータ、産総研=産業化支援G-QuAT、NICT=量子暗号通信、東大・阪大・東北大など)を整備し、役割分担を明確化しているのが特徴です。

予算面でも、経済安全保障重要技術育成プログラムやムーンショット型研究開発(目標6:2050年に誤り耐性型汎用量子コンピュータ実現)を通じて、誤り訂正・大規模化という本丸の技術に長期資金を投じています。2024年度以降は産総研G-QuATへの大型措置などで投資を上積みし、国産量子コンピュータの開発(国内外ハードウェア開発参照)と産業応用の創出を両輪で推進しています。

2025年以降は、量子産業の裾野拡大を意識した施策も強化されています。中小企業やユーザー企業向けの実証支援、地方大学を含む人材育成網の整備、スタートアップの海外展開支援などです。国産技術の輸出産業化と、海外プラットフォームの賢い利用を両立させる、したたかな戦略が求められる局面に入ったと言えます。

公的投資の国際比較

各国の公的投資額は推計方法により幅がありますが、公表ベースの累計コミットメントを並べると以下のような構図になります。

図表: 量子技術への公的投資(累計コミットメント・億ドル・概数)

中国
150超
EU+加盟国
120超
米国
60超
英国
45超
日本
40前後

※各国公表値・調査機関推計の概数(2025年時点・当サイト整理)。米国は民間投資が突出して大きい点に注意が必要です。

金額だけを見ると中国・欧州が大きく映りますが、米国は民間投資を含めた総投資で他を圧倒しているとみられます。日本は公的投資の絶対額では中位ながら、超伝導・光・部素材の技術蓄積を活かした「選択と集中」で存在感を保っている、というのが業界の一般的な評価です。

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民間投資・スタートアップ資金調達の動向

民間マネーの流入も加速しています。量子関連スタートアップへの世界のVC投資は、2024年に約20億ドル、2025年はそれを大きく上回る水準へ拡大したと各調査機関が報告しています。PsiQuantumの大型調達(累計10億ドル超)、Quantinuumの高評価額での調達、QuEra・Pasqal・Alice & Bobなど中性原子・誤り訂正系企業への集中投資が象徴的です。株式市場でもIonQ、Rigetti、D-Waveなどの量子関連銘柄が乱高下を伴いながら注目を集めています(詳細はブログ記事「量子株ブームの現在地」で解説します)。

国内でも、政府系ファンドや大手企業のCVCによる量子スタートアップへの出資、東芝・NEC・富士通など大手の事業部門化が進み、「国策×民間マネー」の二人三脚が産業の骨格になりつつあります。政策と投資の潮目を読むことは、量子ビジネスの参入・提携戦略を考えるうえで不可欠と言えるでしょう。

投資動向を追う際の注意点として、量子分野は発表される「契約額」や「評価額」と実際の売上に大きな開きがあることが挙げられます。政府のコミットメントも複数年度の合計であることが多く、単年度の実行額とは異なります。数字の定義を確認しながら複数の情報源で裏付けを取る姿勢が、この分野の動向分析では特に重要です。

日本企業への実務的な示唆としては、公的支援の「使い分け」が挙げられます。基礎研究に近いテーマはムーンショットや経済安全保障重要技術育成プログラム、実用化段階はNEDOや産総研の実証事業、海外展開はJETROや政府系金融の支援と、フェーズごとに使える制度が異なります。自社の量子ビジネスの成熟度に応じて適切な制度に接続することが、限られた研究開発資源を増幅する現実的な手段になります。